第57回(『株主総会』第1,2章)

日時 1999年04月25日(第57回例会)
場所 立教大学
テーマ 『株主総会』(奥村宏著),第3,4章

今回は,『株主総会』の前半部分について,検討を加えた。

第一に,株式会社の空間的な特殊性が問題になった。著者がこの著書を書いた真の意図──資本主義一般を批判するということが目的なのか,それとも日本の資本主義を批判するということが目的なのか──ということが問題になった。報告者は基本的には後者の側面からこの著書を理解した。また,その側面から,日本資本主義の特殊性に目を奪われたあまり,資本主義一般において株式会社が占めている位置を見失っていないかと,報告者は奥村の主張を批判した。しかし,このような態度はそもそも一貫し得るものではなく,奥村自身,しばしば前者の側面から資本主義一般を批判している。そこで,出席者からは,後者の側面こそが奥村の真の意図ではないかという疑問が提出された。

第二に,奥村は日本資本主義の特殊性を強調するあまり,株式保有の法人化現象と機関化現象とを本質的に区別しようとしているようである。これに対して,報告者から次のような疑問が提出された。──資本主義的生産ではそもそもエージェントはプリンシパルから自立化するのであって,この点では法人化現象は機関化現象から本質的に区別され得るものではなく,両者の区別は実は量的な差異であるのに過ぎない。いやそれどころか,人格化論におけるエージェントの自立化は,物象化論における資本の自立化に基づいている。

第三に,この著書の位置付けが問題になった。株式会社論を株主総会論として展開しようとしているということがこの著書の独自性であると,報告者は述べた。しかし,奥村自身は,かなり曖昧な表現を用いている。そこで,出席者からは,そのような解釈は成り立たないのではないかという疑問が提出された。

第四に,株式会社の時間的な特殊性が問題になった。奥村にとっては株主総会論こそが株式会社論であるということを前提にして,報告者から次のような問題が提起された。──奥村の株式会社論は擬制資本ではなく実物資本が出発点になっているのだが,しかしそれを直接的生産過程で機能している実物資本としてではなく,株主総会として機関的に表出する実物資本として展開している。従ってまた,奥村にとっては,バーリ及びミーンズと同様に,アメリカの経営者支配現象は,生産の大規模化に伴って株式会社が生まれつき持っている本質的特徴ではなく,会社そのものの大規模化に伴って──そしてまた株主の多数化に伴って──20世紀になって初めて出現する時代的特徴になっているのではないか。